「世界屠畜紀行」へのながーい道
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「情熱大陸」で紹介された内澤旬子さんの「世界屠畜紀行」が、
26人待ちのながーい道のりを超えて、やっと図書館から「予約資料が届きました」のメールが来ました。
カウンターで司書の人と話したら、いまだに25人程度の予約待ちなのだそうです。
実は、もう丸善やジュンク堂でだいたいのところは読んでいるのですが、
せっかく回ってきたので改めて読み直しました。
内澤さんは、日本では「屠畜」に興味を持つこと自体が非常にレアで、
忌み嫌われている、と書いているけれど、
みんな、本当は知りたいんじゃないかなあ。
この本が出版されたことで「ああ、口に出してもいいんだ」と思われるようになったのかもしれませんが。
紀行はお隣の国、韓国に始まり、韓国に終わります。
内澤さんがこの本を書こうとした動機は、
肉を食べながら、その肉を作る過程である「屠畜」を忌み嫌うのは
「動物がかわいそう」という感情のためで、
日本の場合それは仏教のせいではないのか、
他の国(仏教国、その他の宗教の国)ではどうなのか、を知りたい、
ということのようです。
屠畜に対する感覚は、国によってさまざまです。
肉食だけではなく、宗教観や社会階層制度、人生観にも関わってくることだから。
そういう動機があるためか、著者の中に、
人が肉を食べるのは当然のこと、肉は主食のようにたくさん食べるもの、という前提があるように私には思えました。
韓国や沖縄でも、肉食は戦後までそれほど日常的なものではなかったし、
古くから肉食文化が発達していたチェコでも共産主義時代に肉食が奨励されすぎたため、成人病が増えた、ということは書かれていますし、
最後のほうで、「動物福祉」の研究者が、
今のように、大量に、雑に肉を生産・消費するのはおかしい。動物にとって、人間にとって、適正な規模での食肉生産とは何か、という問題提起をしていることは取り上げられているので、
その点ではバランスがとれた内容ではあります。
その研究者が、人間はしかたなしに肉を食べるようになったのではなく、
進化の過程で積極的に選択したのではないか、と言っていました。
寺門琢己先生の本でも「人間は弱い動物だったので、他の動物が食べ残した骨髄を石でくだいて食べたことで脳を発達させて人間になった」という記述があります。
現代の東京で生活をしている自分には、肉は食べ物として必要ない、と思っています。
進化の過程で必要だったとしたら、それは赤ちゃんのときは母乳を飲むというようなことで、今は違うだろうと思うのです。
今でもモンゴルで放牧をしたりする生活だったらやはり食べると思いますけれど。
この本でいろいろな国の食肉、屠畜文化を読むと、
伝統的な方法には気候・風土にあった意味がちゃんとあって、
それが技術の発達や、政治・経済の都合で、短期間に大きく変わってしまうことに問題があるのかな、と思います。
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この記事へのコメント
お肉の問題
当時バリバリの肉食だった私でしたが、自分の口に加工されて入ってくる牛や豚がどういうプロセスを経るのかちゃんと知る事ができ、それが今の自分に影響していると思えます。
玄米菜食になった今、時に肉を食べないといったって命あるものを食すという意味では肉食と同じだ!という事で友人に非難されたりもするのですが、私は決して肉魚を食べることはいけないと言っているのではありません。
選択するのは個人個人です。もし肉魚をいただくなら、どうか無駄にしないでください。
命の浪費(プロイラーの鳥、大量生産するため成長を早める餌を与えられる豚など)をしすぎていませんか?と言うことなんです。数日前に肉魚も置いてある自然食バイキングで食べきれない量のお肉を残した友人と上記ような喧嘩をしたばかりで、熱くなってしまいごめんなさい。
>日本の場合それは仏教のせいではないのか、
これってものすごく主観的で偏っている視点と感じてしまいました。仏教ってそんな感情論でものをいっていないと思います。
でもそのへんは仏教をきちんと学ばないと見えてこないことかも知れませんね。
ところで精進料理って中国が発祥だと最近知りました。どおりで高山地帯の仏教徒は肉を食べるわけか、と納得しました。
肉を食べる食べないは自由だと思いますが、その動機はその人の人生を左右するんじゃないかなあなんて思います。
>ちさとさん
イラスト入りで読みやすい文章ではあります。
お子さんたちの感想はどうだったのかな?
食べるものの問題はデリケートで、
自分が当たり前と思って食べているものを、
「食べるべきでないもの」と言われたら、個人のすごくコアな部分への過干渉、と感じますよね。
本来の、その地域あった生産法・調理法の全うな肉・卵なら、添加物いっぱいの加工食品よりはよほどいいとも思います。
>☆kao☆さん
食肉卸市場があることはあとから知りました。
バリ島では、豚や鳥を食べるために殺すことをバリ語の「殺す」、という言葉では表現しないそうです。
神様にささげ、人間が食することは、人間にそのことへの責任が生じ、動物にとってはよいことだと考えるためです。
人間は他のものの命をいただいて生きていく存在なので、肉でも植物でも、食べることが自体が残酷だ、ということはないでしょう。
>sallyさん
日本では仏教伝来以前は自然に手に入る範囲での肉食をしていたが、仏教の不殺生戒が政治的に広められたために肉食がタブーになり、屠畜に対する穢れ観が生じた、という見方は、
この本以外でも読んだことがあります。
しかし、それは日本での仏教の解釈、広まり方がそうだった、ということであり、
仏教の本質とはまた違うでしょう。
「世界屠畜紀行」でも、モンゴルで、モンゴル仏教と肉食文化がどう折り合いをつけているか、
という内容がありますので、
「仏教のせい」というのは、日本での、という条件つきなのだと思います。
動機、ですか。
私は、自分に必要ないと思ったから、ですね。
後から、食料生産の方法としては不効率だなあと思うようにもなりました・
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お肉はマクロビオティックを知ってから、しろうささんと同じように考えてますね。
沖縄出身の方(リマ師範)が戦後の沖縄の人はキレやすいと言っていたし、幕内さんのコラムでも同じように読みました。
確かにDVや虐待が多い地域ですし、アメリカ型の食生活が根付いてて肥満も多いですね
私のイメージではうちなータイムとかで、癒しのイメージなんだけど・・・実際はそうでもないようです。
お肉は刺激が強すぎる。。。